[はちがつのたたかい。](2)


 時刻は午後3時30分。前までの試合が投手戦だったらしく、第四試合は四十分繰り上げて始まった。
俺もみのりも全く縁の無い県同士の対戦で、どちらを応援するでもなく試合の行方を見守り続けていた。


 もっと早い時間の試合を見てもよかったのだが、新幹線を降りる新大阪駅に着いたのが午後11時。
ちょうど昼時で、一週間前のみのりの「本場のお好み焼きが食べたい」という要望にこたえるため、
日本一距離の長い商店街『天神橋筋商店街』に行き、あらかじめみのりが調べていたお好み焼き屋を探し彷徨うこと一時間弱。

 やっと入ったお店で店員に一から焼き方を教わりながら、何とか作ったお好み焼きにありつけたのが午後1時過ぎ。
形はいびつながらも味は流石なもので、店員に勧められた「主食+主食の組み合わせ」お好み定食で、
ご飯とお好み焼きが意外と合うことを発見し、満足して店を出たところまでは良かったが、最寄り駅を探すのに30分ほど歩き回り、
やっとのことで地下鉄に乗り込んだのが午後2時。

 甲子園球場への唯一の交通手段である阪神電車に乗り換えるのにも、大阪・梅田駅で迷いに迷い、直通特急に乗るつもりが、
駆け込んだ電車は普通。
乗り換える気力も失せ、やたらと多い駅をひとつずつ停まりながら、甲子園駅についたのが午後3時過ぎ。
席を確保した頃にはすでに第四試合の準備が始まっていたのだった。


「……それにしても…暑いな」
「暑いね〜」
 40℃を超える気温と、屋根の無い外野席に悪意を持っているかのように照りつける太陽で、体感温度は50℃近かった。
試合をしている高校生と同じぐらい汗をかき、団扇を扇ぎながら一応試合を見てはいるが、野球を心から楽しむ気にはなれない。

「それにしても、甲子園って広いね〜」
 みのりは左手に“かちわり”をもち、右手でバタバタと団扇を扇ぎながら、周囲を見回す。
俺も同意しながら周りを見回す。

 俺も一、二度、ドーム球場なら行った事があるが、これほど大きい球場は初めてだ。
 
 70年代までは日本一大きい球場で、1992年まではラッキーゾーンと呼ばれる第二の外野フェンスがあり、そこを越えたら
ホームランとされていたことは有名な話だ。
今でこそ大きさではドーム球場や他の新しい球場には劣るが、観客席はものすごく広く、五万五千人が観戦出来るそうだ。

 試合は先攻チームが先制したが、加点するたびに後攻チームが追いつく接戦の様相を見せていた。



――カキーン!

 後攻チームの四番が放った打球はぐんぐん伸び、俺たちが居る外野席へ一直線に飛んできた。
「どっどどどうしよう溝口さん!こっちに飛んできたよ!」
 いつになく慌てているみのりはいきなり俺に抱きついてきた。
つい頬が緩みそうになるが、そんな場合じゃないと思い出し、咄嗟にみのりを庇おうとしたとき、

バシッ!

 フェンスを越える直前で定位置より後方で守っていた外野手が、勢いでフェンスを駆け上がりホームランを阻止したのだ。
球場全体がシーンと静まり返る中、その選手は地面に倒れたが、すぐにボールをグローブを高々と、誇らしげに掲げた。

アウト!

 審判のコールが球場に響いたと同時に観客席から拍手がわき起こった。それも敵味方関係なく全員がスタンディングオベーションだ。
ボールを取った選手はチームメイトからバシバシと叩かれ祝福を受け、
ホームランを捕られたバッターも悔しさの中にどこかすっきりした笑顔でベンチに引き上げていった。

「すっごいねー!ホームランの球をジャンプして捕っちゃったんだもん」
「ああ、それにあのバッターも相当凄いぞ。プロにも行けるんじゃないか」
二人とも野球はまるで素人だったが、先攻チームと後攻チームのプレーは素人にも大きな感動を与えてくれた。



 試合はその後、同点のまま九回裏を迎え、2アウトランナー1塁で先ほどの大飛球を捕られた四番が、
今度こそ文句なしのホームランを放ち後攻チームはサヨナラ勝ち、という劇的な幕切れを迎えたのだった。


 帰りの新幹線の中でも、みのりは試合の興奮が収まらない様子だった。
やけにはしゃぐので、周囲の視線を感じながらその興奮を抑えさせるのに今日一番のエネルギーを消費した気がする。

 電車を降り日が暮れた道を、彼女の家に送って帰っているとき、みのりが唐突に、

「溝口さん、実はね、先週受験のこと聞かれたとき、全然自信なかったんだ」
 みのりの告白を俺は遮らず、黙って聴いていた。

「でも、今日溝口さんと見に行ったあの試合でわかったんだ」
「何が?」
 俺は短い質問で彼女を促した。

「あの人たちはあそこであんな凄いプレーをするために、今まで一生懸命練習してきたんでしょ。
 何かをするためにそれまでに精一杯努力したら、何でも出来るようになるし、自信も自然に付くんだって、
 子供のとき親が言ってたけど、今日の試合でそのことがやっとわかった気がする。
 だから、なにも悩まずに受験勉強が出来る自信が付いたんだ」

 俺は、みのりの言葉に先週は感じられなかった自信とやる気が見えたような気がした。だから、俺はひとこと言うだけにした。

「そうか、良かったな」

 俺たちは何時の間にかみのりの家の前まで来ていた。
 みのりは俺の前に回りこみ、俺の方に向き直った。

「今日は…本当に楽しかったよ。ありがとう」
「ああ、俺も楽しかったよ。ありがとう」
「あのね、お願いがあるんだけど……」
そういうと同時にうつむいて、視線をさまよわせている。

「なんだ、どうした。らしくないな」
「み、溝口さん……」
そういうと、みのりが上目遣いでこちらを見る。な、なんだこの状況は!?目が合ったとき思わず心臓の鼓動が跳ね上がる。
すさまじくかわい……はっ、なんか八百万(やおよろず)の方向から、悪意と嫉妬の視線を感じる。……ご、ごめんなさい。

「もし、なにかで迷うことがあったら……さっきみたいに話を……聞いてくれる?」
さっきの視線が弱まった気がする。

「ああ、いいよ。俺たち『恋人』だろ」
……なんか背後から妙な圧迫感が伝わってきた。
なぜか俺は、これは創造神の意思じゃないかと唐突に考えた。

「あっ、ありがと……」
 言ってすぐに顔を赤くして俯く。
創造神よ、怒るなら怒ってくれていい。俺は、神というものに初めて逆らってやる。

「みのり、かわいいな」
 ぐほっ、再び八百万の意思たちの嫉妬心が俺を四方八方から突き刺してくるぜぇ。
フハハハハ!叫べ怒り狂うがいい!いずれにせよいつか言わなきゃならなかったんだ。後悔なぞしない!
誰に言ってるかだと?俺にもよく分からん!気にするな!

言われた本人は赤くなりこっちをみた。
「……ありがとう……」

「さあ、そろそろ帰らないと親御さんも心配するぞ」
「うん。今日はありがとう。気をつけてね」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」


 溝口さんは家に帰る道すがら、みのりの話した言葉を思い返し、明日からの仕事に自信とやる気を見い出しましたとさ。

おしまい