< 夜明けの墓/とうなと妖精 >


 遠野有希を殺し、高城とうなは捕まった。その後、数年間刑務所の中ですごした。
その間のことはとうなはほとんど覚えていない。思い出そうとも思わなかった。

 それは刑務所から社会に戻ってきて幾日かたったときのこと。高城とうなが今いる場所、それは墓地だった。
灰色の石柱が静かに立ち並んでいる。深夜とよべる時間帯で辺りは暗かったが東の空が明らんできている、宵明は近い。
とうなが気がつくとここにいたのだった。夢遊病にでもかかったのだろうか。それまでのことはわからなかった。

 だが、そんなことはとうなにとってそれほど重要なことではなかった。
とうなが必死になって思考し解決しようといている問題は、夢遊病という珍しいが有名な問題とはまったく違う常識外れなことだった。

 「遠野家之墓」と、彫られた石柱の上に遠野有希と呼ばれていた存在が腰掛けている。そのことについてだった。

「やあ、久しぶり。元気だったかな?」

 そういって生前の姿そのままに話しかけてくる、この状況なんて何も不思議なことではないとでも言いたげな有希。

「・・・・・・。」

 そんな姿を見てとうなは声を返すことができない。だた呆然として動かない。だが、とうなの頭の中は思考でいっぱいだった。
 とうなは幼い頃からじっくりと考えてから行動する慎重な性格だった。
そんなとうなが初めて突発的衝動的行動に出たとき、遠野有希とういう女性を殺してしまったのだ。今、目の前にいる人物を。
それからというもの結論がでるまで行動しない。そんな癖ができてしまった。
 その癖が今、とうなを呆然と立ち尽くさせているのだった。

 いつものとうなならば、日常で生まれる疑問ならばなど五秒とかからない癖。それが今、数十秒の沈黙。
とうなの混乱ぶりを表すにはそれで十分だった。自分が殺した人が話しかけてくる、そんな状況下での混乱。

 そんなとうなを、有希はなにか面白いもの見る目で、けれど哀しさを含んだ目で眺めていた。

 そしてとうなが動き出す。
己の記憶の喪失、墓地、死んだはずの遠野有希。これだけではとうてい真実を導き出すことはできない。
しかし、この墓地が夢であれ現であれ、目の前の少女が幻覚であれ非現実的な何かであれ、今は遠野有希と会話すること。
そこからこの状況を認識する。それがとうなのだした結論だった。

「おはようございます。何か用でしょうか。遠野有希さん」

 そう、いつものように沈着冷静を装って言う高城とうな。

「いやー、喉渇いちゃってさ。ちょっと悪いんだけどマックスコーヒー買ってきてくれないかな?お金全然もってないんだ」

 生前そうであったように楽しげな遠野有希。

「残念ですが、私も持ち合わせがありません。マックスコーヒーなんてあんな甘すぎる飲み物が好きなんですか?」

 と、あたりさわりないことを言うとうなは有希を観察する。
よくある怪談話のおどろおどろしい雰囲気はない。生気に満ち溢れている。しかし、自分の頭が作り出した幻覚と呼ぶにはリアルすぎた。

「あんまり好きじゃないんだけどねー。遙はああいう甘いのが大好きだったからね。ちょっと懐かしくなってね、飲みたくなったんだよ」

『遙』という名前が出たことでとうなの顔が歪む。感情を抑えきれない。

「そんなに懐かしがってるなら私じゃなくて彼女を呼べばよかったじゃないですか」

 怒りの込められた言葉。『遙』への過剰反応。

「もう遙は自分の力で前に進んでいける。今、遙に私がしてあげられることはないんだよ。
それに君にあいたくて呼んだわけじゃあないんだけどね。これも仕事でさぁ」

 一瞬、誇らしげで寂しげな顔をする有希。その表情をすぐに隠して「ふぅ〜」とため息をつき有希にとうなが言う。

「仕事?死んだあなたに何が出来るっていうんですか?どんなことができるか教えてもらいたいものですね」

 楠木遙という名前がとうなの冷静さを吹き飛ばしていた。やっぱり遠野有希がとうなをここに連れてきた原因だった。
だがそんなこと気にせずに皮肉を言うとうな。殺したのが他でもない自分であるとわかっていても発してしまう言葉。
そんなとうなを気にせずにおだやかな声を返す有希。

「私の仕事、それはね。迷ってどうしたらいいかわからなくなった人、立ち止まってしまった人、
そんな迷える人々にそっと先の道しるべ、ヒントを与えること。
人呼んで ヒントの妖精だ。高城とうな、今日は君にヒントを与えにきた。君は今深刻な問題を抱えているんじゃないのかな?
私のヒントは役に立つよ。けどね、ヒントを与えるために必要なものが一つある。それはとうな、君の意思だ。
さぁ、聞くか聞かないか選択するのは君だ」

 真剣なのかふざけているのかわからない有希の言葉。とうなには自分の『深刻な問題』そんなものにここあたりはなかった。
だが、とうなは有希のヒントを聞かなければならない気がした。ここで聞かなければ、もう自分には先はない気が・・・。

「・・・聞きます」

そういうと有希は改まって言った。

「・・・ヒントを贈ろう。
君は数年前、楠木遙に捕まったとき宣言したこと。その一つを破ってしまっている。『後悔はしていません』その言葉を。
今、君は私、遠野有希を殺したことを後悔している。あのとき殺人者になった自分を嫌悪している。
これは君の人生を大きく変えてしまったんだ。つまらない逃走劇をずっと一人で演じるだけに。
このままだと、その劇は終幕を待たずに君の心は壊れてしまうだろうね・・・。」

 有希の言葉をさえぎるようにとうなは言う。

「・・・っ!!・・・そんなこと、そんなこと言ったって・・・、私はあなたを殺したんですよ!?命を奪った人殺しですよ!?
後悔しないなんてできない。私なんて壊れてしまえばいいんです。
もうずっと、あなたを殺したときからおかしくなっていたんですから・・・!」

 とうなの言葉い冷静さも怒りもない、ただ心の内の暗所、自分では見えないようにしていた部分を見せられた動揺だけ。
一番身近にあって、一番ゆるせないもの、高城とうな、自分自身のこと。
そんなとうなに有希は優しく、ただはっきりと答える。

「そんなもの、私を殺したことへの償いにはならない。君は私にしなければならないことが残ってるんだよ。
・・・償いと後悔は別のものだよ。後悔は自分のためにあるもの。他人のためじゃないの。償いは他人のためでもあるんだ。
君がそれをわからないんだったら・・・、私が与えてあげる。あなたが生きてる限りずっと続く贖罪。
受け取りなさい、私の信念だったものを。過去を後悔しないこと。これから先、どんなことをしても後悔してはならない。
常に前を見て全力で努力しなさい。けどね、この信念を受け入れるかどうか、それも君の意思だ。・・・私はもう、ヒントの妖精だから」

「・・・・・・。」

とうなはもう何も言わない。言うべきことはもうない。
有希を見る目、意思のこもった視線。
とうなの顔は落ち着いたものに戻っていた。

「・・・自分の死を後悔させられるっていうのは嫌だったんだよね。自分の死の意味、そんなのがなくなっちゃう感じかな・・・。
遙は私の死を乗り越えて強くなってくれた。それはうれしいことなんだよ。
あなたにもそうしろってわけじゃないんだ。ただ、自分の行動に責任を持つべきだよ。『あんなことしなければ』なんて卑怯だしさ。
否定されてるみたいで哀しいんだよね。」

一息おいて、有希は続ける。

「もう会うのも最後だろうね。さよらなだ、高城とうな。でもその前にさ、ちょっと後ろ向いてくれる?」

そう有希に促がされるままその通りにするとうな。

「有希ちゃんきぃぃぃ〜〜〜〜っく!!!!」「・・・っ!!」ズガッ!!

墓石の上から有希が繰り出したドロップキックがとうなの頭に炸裂する。

「ごめんね。あのとき頭殴られたのはひどく痛かったんだよ。だからそのときのお返し。
それとね、今の私も結構楽しいけど、やっぱりもっと生きたかったんだよ」

後頭部に激しい打撃を受け遠のく意識の中でとうなが最後に聞いたのはそんなセリフだった。

 ■ ■ ■

 夜明けとともにとうなは起き出した。まだ頭はひどく痛い。しだいに明るくなっていく墓地にはもう遠野有希の姿はない。

ふと、ポケットをさぐる。

―――持ち合わせがないなんて嘘だったな。

そんなこと思いながら、とうなは辺りを見回すと墓地のはずれに自動販売機があるのがわかった。

100円硬貨を3枚入れて缶コーヒーを2缶買う。

 マックスコーヒーを2缶。今度は自分の意思で有希の墓まで行く。
片方の缶コーヒーを開けてすする。口に含んだコーヒーがひどく甘い。でも悪くない。
もう片方を墓前に供える。
手を合わせたりしない、祈りもしない。そんなことしている暇があったらしなければならないことがある。

 明日のことを考えるんだ。