『夜』

 

「いやあ、面白い映画だったねぇ。」

 

私の1メートルほど右前を歩く少女が、大きく両腕を上に伸ばしながらそう言った。私の1メートルほど右前を歩く少女、親友である遠野有希の背中を見つめながら、私は溜息交じりに答えた。

 

「…そうね。」

 

歩くリズムに合わせて小刻みに、時折吹く風に合わせて不規則に、彼女の赤茶色の髪が揺れて、靡く。顔を見ることはできなかったが、満面の笑みを浮かべていることは想像に難くない。

 

「『私の頭は禿げているのではない、この髪型はボーズの進化型だ!!

『なにを猪口才な!!髪が無いくせに髪型とか言うな、見苦しいぞ!!』」

 

私の親友は人目も気にせず先ほど見てきた映画の台詞を大声で復唱している。頭部が坊主頭の進化型をしていたおじさんが、すれ違いざまに私たちを睨んでくるが、当の本人はどこ吹く風だ。ちなみにその映画は、世界中の坊主頭の男たちが坊主の中の坊主を決めるために血で血を洗う肉弾戦を繰り広げるというエキセントリックで熱苦しことこの上ないアクション映画だった。

 

 

タイトルは……『スター・ボーズ』。

 

「あれ?遙、元気無いよ?この映画前から観たいって言ってたじゃん。」

 

「誰がっ!!

 

有名なハリウッドのSF映画と聞き違えたことに、映画館の前に来るまで私は気づかなかった。昨日の電話で有希がやたらと早口だったから、これはきっと不幸な事故ではなく計画的犯行だろう。

 

映画自体はつまらないものだったが、それほど腹は立っていない。つまらない話題でも、彼女と話せばとても楽しい時間になった。恥ずかしいから口に出したことは無いけど、私にとって彼女と過ごす時間は、かけがえが無くて、大切で、何より幸せな日常だった。

 

遠野有希と一緒にいる時、私は、幸せだった。

 

 

 

視界に映ったのは、天井の模様と、明かりの消えた蛍光灯。右手を伸ばして枕元にあるはずの目覚まし時計を探る。秒針の音が確かに聞こえるが、正確な位置はわからない。右手が時計を見つけると、私は時計をつかみ、右手を顔の前まで持ってきた。午前2時、ベッドに入ってからまだ2時間も経っていなかった。

 

「夢…」

 

誰が聞いているわけでもないのに、声に出して確認してみる。わかっている。有希はもういない。私が自分の力で立ち上がって、自分の力で歩き出すことを望みながら、彼女は私の前から姿を消した。

 

永遠に。

 

私の親友が高校の美術室で殺され、私がその事件の調査に協力したのはもう1ヶ月以上前のことだ。センター試験も終わり、受験勉強は佳境に入っていた。朝起きて、受験勉強して、夜寝るだけの生活が続く。余計なことを考える暇が無いぐらい、受験勉強は過酷なものだった。

 

でも、今でも時々、私は彼女の夢を見る。

 

一緒に見た映画の感想を言い合ったこと、下校しながらその日に起きた学校での出来事を話したこと、自分さえも忘れていた些細で他愛の無い会話。彼女が生きていたころは、こんな夢、一度だって見なかったのに。カラオケボックスに行った夢を見たのは、いつだっただろう。

 

夢の終わり方は様々だった。幸せな会話の途中で唐突に目が覚めることもあれば、突然有希が私の前から消えてしまうこともあった。場面が葬儀場に変わり、実際は最後まで閉じられていたはずの棺桶が開き、中の彼女を見せられたときは、ベッドから飛び起きてそのままトイレへ駆け込んだ。

 

夢の終わり方は様々だったが、起きてから私がすることはいつも同じだった。

 

私は布団を頭からかぶり、枕を顔に押し付ける。そして、隣の部屋で眠っている妹を起こさぬよう、声を抑えて、泣いた。

1ヶ月前に、私は自分の力で立って、自分の力で歩いて、自分の人生を生きることを決めた。強くなれたかはわからないが努力はしているつもりだ。

でも時々、私はもういなくなった親友のことを思い出す。彼女のいない寂しさと、こうして時折現われる自分の弱さに自己嫌悪を覚えながら。

 

ひとしきり泣いた後、私はそっと部屋を出て、階下の洗面所へと向った。季節は真冬で、蛇口から出る水は手が痺れるほど冷たかったが、構わず冷水で顔を洗った。再び足音を忍ばせながら部屋へ戻ると、最後にもう一度だけ時計を見て、ベッドに入り、目を閉じた。

 

明日の私は、今日の私より強い私になっていることを誓いながら。

 

 

夜、一人でいると、時々泣きたくなることがある。